「覚えればいいってもんじゃない」とは言うものの

試験期間中で、すっかり更新が滞ってしまいました。

月曜に一科目終わり、帰ってから更新しようと思っていたのですが、徹夜明けで受験して友達と勉強して寝酒用日本酒を買って帰宅したところあえなく意識を失い気づいたら3時(無意識に電気は消していた模様)。というわけで3日ほどごぶさたしておりました。

 

で、試験の感触はというと「いろいろ書きすぎて時間切れを起こしかけた」というあまり心地よくない手応えだったのですが、少なくとも落第するようなことはなかろうという次第。

では「徹夜も報われたのか」というと、あえて大胆な言い方をすれば「徹夜をするほどではなかった」という感じです。より正確に言えば「徹夜して細かいところを覚えて解けるような問題じゃなくて、しっかり考えることを求める問題だった」というところでしょうか。

 

しかも、出題されたのは講義を受けている時から「あー、ここ大事だよねー」と思っていたところなわけであって、言ってみれば出題予想は的中。ならはじめからそこに集中しとけばいいじゃないか、という話なのですが、そうはいかないのが辛いところ。

人間とは弱いもので、なまじ時間があると「これも出るんじゃないか」「一応、こっちも覚えておいた方が」と思いはじめ、最後には「いろいろ知ってた方が答案が見栄えするだろう」などと姑息なものを考えてしまいます*1。この辺りは、数日前のレジュメがあるとかえって錯綜してしまう学生の心、に近いかもしれません*2

 

そういえば、これまた数日前に話したアルバイトをさせていただいている個人塾で生徒さんが解いていた古文の問題に、こんな話が出てきました*3。ある公家が、何事にも「知らないです」と答える博士を「いみじき博士」と褒め称える。分からないと言う人がなぜ学者として優れているのかと問われると、その公家は「学問を分かるというのは、全てを知っていることではない。大切なこととそうでないことを見極められるようになることだ」と答えた。だから、枝葉末節を問われて答えられないのは恥ずべきことではない、というのです。

この話、一見したときは「大切なこととそうでないことの見分けがつかないのが大変なのだろう」と思っていましたが、そうではないのかも。むしろ、「これが大切なのだろう」と思いつつも「これも知らないとまずいんじゃないか」と「全てを知る」ことの誘惑に打ち勝つのが、本当に困難なのかもしれません。

 

 

*1:ばからしいと思われるかもしれないが、法科大学院や外国の大学院に進学したいなどで、学部成績による審査を受ける学生にとっては死活問題になる。

*2:レジュメのある講義が苦手な理由 - 裏山のメモ帳 参照。

*3:問題に記された出典によれば、『続古事談』の一節とのこと。