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ドラえもんのび太の宇宙英雄記-スペースヒーローズーの感想

一昨日、映画『ドラえもんのび太のスペースヒーローズ』を観てきました。今日はその感想を。

 

まず劇場の雰囲気ですが、封切り後間もない春休み中の土曜日ということもあり、小学校低学年くらいの子どもを連れた親子連れで賑わっていました。中には子ども会なのか、団体の姿も。自分と15歳ほど歳の違う子どもたちが、自分たちの好きなアニメを愛してくれているというのは嬉しいものでした。

もちろん、それだけ我々20代の学生四人組は終始浮いていましたが。

 

内容について。

自分の中であまり整理がついているわけではないのですが、一緒に観に行った友人と意見が一致したポイントを中心に、いくつか内容に対する感想を述べたいと思います。

①「映画ドラえもん」らしくない

『スペースヒーローズ』は紛れもなく「ドラえもんの映画」です。しかし、「映画ドラえもん」らしくない、という印象が残りました。

声優の交代以降、同じ『ドラえもん』のアニメ作品でも、毎週放送されるアニメと劇場版映画とは、ある程度作風の違うアニメ作品として作られてきました*1。言い換えれば、劇場版には「ひと目観ただけで分かる映画らしさ」がある、というのが一緒に観に行った友人を含めて共通意見でした。

が、今回の映画にはそれが(あまり)ない。言い換えれば、普段のアニメの作風で、映画をつくった、という感想を覚えました。そして、これは一緒に映画に行った四人に共通する感想だったようです。

 

②盛り上がりに欠ける

上の①よりも、さらに価値判断を含んだ感想になります。率直に言って「やや盛り上がりに欠ける」という印象が残りました。

ヒーローものにあこがれてヒーローを演じているうちに、無自覚に「ほんもの」に巻き込まれてしまうという展開はよかったと思います。そして、後にスネ夫が言った通り「自分たちは本当のヒーローじゃない」と葛藤する、という展開もよかったと思います。

ただ、葛藤するタイミングが、正直あまり盛り上がらないタイミングでした。最初に「ほんもの」と気づいた時はあっさり勝ててしまい、その後のピンチも今までのあらゆる映画のなかでも、指折りのあっさりさで切り抜けてしまう。その後で思い出したように「無理だよ」と言っても、あまり説得力というか迫力はありません。映画でスネ夫が「無理だ」と水を差すのは一つの見せ場だと思うので、これはかなり残念でした。

すると、スネ夫の「無理だ」を乗り越えて立ち向かうシーンもあまり盛り上がらない、という負の連鎖が起きます。のび太が「なんとなく倒してしまう」という展開もあいまって、ポックル星を危機から救うクライマックスも正直いまひとつ盛り上がりに欠ける終わり方でした。

 

たとえばの話ですが、初めの戦いをかなり厳しい辛勝にするか、途中のピンチを前にもってきて、スネ夫が「もう帰ろうよ」と言った段階で一度アロンがのび太たちに失望あるいは申し訳ないと思い、一人で戦おうとしてもよかったと思います。そこで、ペコを追いかけるジャイアンのようにのび太が助けに行こうと言い、アロンのピンチにのび太たちが駆けつける。そこで、「ぼくらはヒーローごっこをしていただけだ。でも、アロンという友達のために、今度こそヒーローになるんだ」と立ち向かい、もう一度、今度こそはヒーローになってみせると「銀河防衛隊!」と見得を切る、なんて展開もありえたと思います。

 

本当にとりとめのない感想になってしまいました(自分でもここまでまとまらないとは思っていなかった)。ともかく、映画を観た直後に浮かんだ感想となると、このくらい、というより主に②となります。

なぜ今年の映画がこういった形になったのか、ファンとしてはいろいろと想像を巡らせたくなることもあったのですが、そちらもまた機会があればまとめてみたいと思います。

 

 

*1:たとえば、『のび太の恐竜2006』では、のび太の部屋やキャラクターのデザインが別に用意された。