『STAND BY ME ドラえもん』における「帰ってきたドラえもん」考ージャイアン、スネ夫、しずかちゃんはどう描かれたかー

本稿は、『STAND BY ME ドラえもん』を、「帰ってきたドラえもん」を映像化した作品の一つとして、他の映像化と比較してみようというものです。

内容に関するかなりのネタバレがあるので、未見の方はご注意ください。

 

今日、8月30日、映画『STAND BY ME ドラえもん*1が地上波で初放送されました。この映画のクライマックスは「帰ってきたドラえもん」をモチーフになった展開で締めくくられています。「帰ってきたドラえもん」は98年の映画*2をテレビ放送で観て以来ずっと好きで、今年の春先に映画館で初めて『STAND BY ME』を観た時も、まさに涙腺崩壊状態でした。

ただ、その一方で、少し不安もありました。「この映画で、ジャイアンスネ夫はどうなってしまうのだろう」と。

その意味については追って語っていくとして、まず「帰ってきたドラえもん」について若干の解説を加えます。

 

1 前提:「帰ってきたドラえもん」とは

そもそも、「帰ってきたドラえもん」とはてんコミ6巻と7巻に掲載された二作品をその原作とします*3。原作では、前後編形式の二つのお話として描かれていますが、映像化されるにあたってはこの二つをまとめて「帰ってきたドラえもん」とすることが多く、まとめて「帰ってきたドラえもん」と呼んでいいでしょう。

この「帰ってきたドラえもん」は、私の知るかぎり、三度アニメ化されています。一度目は80年代のアニメ化、二度目は98年の映画、そして三度目がこの『STAND BY ME』です。基本的に三作とも原作をアニメ化しているのですが、98年の映画、そしてこの『STAND BY ME』は、その結末が微妙に異なっています。

そこが、ここで論じたい問題です。

 

2 問題の所在:不遇のジャイアンスネ夫、そしてしずか

この二つの映画で変わったのは、結末にジャイアンスネ夫・しずかが介在しているということです。

ここで確認しておきたいのが、原作「帰ってきたドラえもん」では、この三人はかなり不遇の扱いを受けているということです。ジャイアンスネ夫は、ドラえもんがいなくなった悲しさからなんとか立ち直ろうとしているのび太に、エイプリールフールと称して「ドラえもんが帰ってきた」と言う、完全な悪役。そして見落とされがちなことですが、しずかちゃんに至っては、ほとんど登場の機会さえ与えられません。ある意味、ジャイアンスネ夫以下の扱いともいえるでしょう。

つまり、原作ではジャイアンスネ夫は、かなり軽く扱われているということです。そこが、二作の映画ではいわば「ケア」されているのです。

 

3 二人の物語から五人の物語へ:ジャイアンスネ夫としずかちゃんの関与

98年の映画について考えてみましょう。

まず、この映画ではしずかちゃんがのび太を励ますというシーンが付け加えられます。詳しくは述べませんが、季節感のある演出と相まって、個人的にはけっこう好きなシーンです。

そしてジャイアンスネ夫。この二人は、のび太ドラえもんが再開した少し後に、しずかちゃんと一緒にのび太に謝りに来るというシーンがあります。つらそうな表情の三人の前にのび太ドラえもんを連れて現れ、ジャイアンが「心の友よ」と言ってドラえもんを抱きしめる。そこでジャイアンはお詫びの品にどら焼きを持っているのですが、ここでのび太ジャイアンに突き飛ばされて地面に散らばったどら焼きとの対比で、のび太ドラえもんに渡すはずだったどら焼きを、ドラえもんが頬張るシーンでこの映画は終わります。

 

まとめると、この映画は正面からしずかちゃんが物語に関わり、ジャイアンスネ夫も一緒に、いつもの5人でドラえもんとの再会を喜ぶという形で、物語を映像化していると言えます。

それは、まだアニメとしては2年目だった最初の映像化*4と、アニメとして20年近い積み重ねをし、映画の中で何度もの冒険を繰り返したうえでの映像化の違い、と言えるかもしれません。言い換えるならば、この5人の日常・冒険を描き続けたというその蓄積が、「帰ってきたドラえもん」をのび太ドラえもん「2人だけの物語」にすることを拒絶した、と解釈するのは考えすぎでしょうか。

 

4 再現の「物語」:『STAND BY ME』の解決

では、この「問題」を『STAND BY ME』はどう解決したのでしょうか。

 

大変残念なことに今日の放送ではエンディングがカットされていましたが、映画館で観た際のエンドロールでは

ジャイアンスネ夫、しずかちゃんの三人が「撮影終了おめでとう」と飛び込んでくる

・エンディングでNG集が流れる

という演出がなされていました。

つまり、この映画は「のび太たちが撮影した映画」であり、いわば全体が劇中劇。言い換えるならば、ジャイアンスネ夫のび太にウソをつくことも含め、この映画の存在それ自体がのび太たちいつもの5人の協力の成果、という形で締めくくられるのです。

 

この結末には、「作り物と言われているようでいや」という意見も見られます*5。ただ、私はこの結末にとても救われました。「結婚前夜」を映像化した中盤でクローズアップされていたしずかちゃんが放置されることもなく、またジャイアンスネ夫が悪役として処理されることもない。正面から物語を「変えた」98年の映画と違って、『STAND BY ME』はメタフィクショナルな形で「帰ってきたドラえもん」を「5人の物語」にしたと言えないでしょうか。

 

少し勝手な想像をふくらませるのなら、この5人は、原作の「帰ってきたドラえもん」か、あるいは98年の映画で描かれた「帰ってきたドラえもん」を経験しているのかもしれません。そして、「あの時はさびしかったよのび太くん」「悪かったな、のび太」と5人でワイワイ話し合いながら、ちょうど「宇宙大魔神」を撮影した時のように*6、この『STAND BY ME』を撮影したのではないでしょうか。

そして、のび太が「ドラえもんとの再会」という最高の想い出を演技で再現するのを見届けて、それを祝福するためにジャイアンスネ夫としずかちゃんが走りこんできた。そう、私はこの映画を観ました。

 

5 まとめ:『STAND BY ME』という再現

最初に書いた「不安」というのは、この映画でジャイアンスネ夫が悪役のままで、しずかちゃんが置いてけぼりのままで終わるのではないか、という不安でした。しかし、その不安は思わぬ形で、エンディングによって解決され、当時の自分は映画館でほっとしました。

この映画自体、辛いことも、おそらくは若干の気まずさも乗り越えた5人による再現でした。

 

さて、「再現」という視点から考えてみると、この『STAND BY ME』自体が、『ドラえもん』の名作短編を数多く「再現」し、そしてそのターゲットを「かつてドラえもんを観ていた人々」に設定することで、観客にかつてドラえもんを観て感じた思いを「再現」させるものだったと言える、ような気もします。

観客はドラえもんたちが自分たちの想い出を劇中劇で再現するのを追いかける中で、自分の感動を再現していた、というのがこの『STAND BY ME ドラえもん』という映画だったのかもしれません。